ガード下でワンカップ大関を傾ける男は幕下フェイス

駅前にある煮締めた色をした居酒屋のカウンター。友人Nといつものようにホウレン草のおひたしからにじみ出た液体で熱燗を薄めてはじびじび啜っていると、入り口の引き戸が開いた。50代と思しき男が重い足取りで入ってきてカウンター中央に腰を下すや、メニューも見ずに「焼き鳥。何でもいいから焼き鳥2本な」と注文する。その瞬間、店のオヤジが小さな声をかけた。
「お客さんだいぶ酔ってるね……。今日は帰った方がいいよ」
口に運びかけた私の盃が止まった。その中でエメラルド・グリーンに染まった正体不明の汁が揺れる。ちらりと横の客を一瞥すると、確かに前傾姿勢でまぶたも落ち気味。瞳は新弟子が入る湯船の残り湯ぐらいに濁っていた。ブコウスキー級に酔っているのは間違いないが、こう簡単に事実上の入店拒否してもよいものか。客も「なに?」と言いたげに顔を上げる。
しかし普段は口数が少なく、競馬の話しかしないオヤジの口調があまりに毅然としていたことと、自慢のお新香に平気で味の素を盛る勇気がゆらりと殺気を起こしたのか、客は気色ばみながらも「何だよ畜生……出てけってことかよ」と呟きながら店を去って行った。その途端、カウンター隅で飲んでいた常連・スーパーマーケット主任のSさんが口火を切る。
「いやあよく言ったよ! あいつオレ知ってるから。よく知ってんだオレ。店に来てワンカップ大関1本買いながら3本万引きするどうしようもない奴でさあ。で、その酒を誰が飲むかっていうんで、そこのガード下でよ、無職が集まって殴り合いしてるんだ!」
なんだその笹塚ファイトクラブは。ブラッド・ピットが混じっていても絶対に正体は神無月だ。それを受けてオヤジが頷く。
「ワタシもあの人、知ってるんですよ。十年前にね、この近くで寿司屋やってた板前ですから。店に火つけてクビになりましてね。たまにウチ来たけど、酒癖が悪い男で……」
さすがは接客業。その顔を覚えていたわけだ。すると友人Nが唇についたかつお節を拭いながら、「しかしいつものオヤジさんに見えなかったなあ〜。いくらなんでも入ってきた客、あんな風には断れないよ!」と熱く語り出し、狭い店の空気は暖かさを増していった。
私は盃を傾けながら、2年前にこの店の暖簾を初めてくぐった瞬間を思い出していた。コンタクトの不具合で軽く目が充血していただけで、「君、酔ってるでしょ? 今日は帰りなさい」とオヤジが指摘。柄杓で甘茶をかけられ、ほうほうのていで店を追われたのである。店に火をつけた前科どころか、百円ライターの火力調整すらおぼつかないのに。シラフの私はどれだけ怪しかったというのか。

居酒屋といえば、大阪吉本芸人のお笑い阿片窟『たこしげ』店主によるウェブログ
http://takoshige.blogzine.jp/hori/2005/01/index.html
1月3日の「オールザッツ漫才」の感想は、テレビだけ見て芸人批評している人間からは湧いてこない言葉の重さ。