R-1MAXで「コスチュームが面白いだけ」と酷評を受ける魔裟斗

そろそろR-1ぐらんぷりが決勝を迎えるらしい。私の予想はコロッケと神無月の一騎打ち。ここにMrボールドと調子のいい時のなぎら健壱がからんで、あと昨年末の『漫談日本一決定戦』からおもしろ三国志を鈴木工枠で……
と思ったら、誰もエントリーすらしてないじゃん! おもしろ三国志に至っては、トランスにのせて三国志のフレーズを叫ぶだけで別にお笑いじゃないし! それよりいつからR-1は決勝進出者を予想するようなイベントになったのだろう。声を大にしてトイレのコックを小にひねって主張したいが、R-1ぐらんぷりとM-1グランプリを同一線上にして見るのは確実に誤った観賞法である。
M-1は「芸歴10年以下」という制限を設けたことで、条件に該当する漫才師がほぼ漏れなく参加。正真正銘、一番面白い漫才師を決める大会になった。つまり93キロ以下の世界最強が明確になるPRIDEミドル級GPなのである。下馬評を引っくり返して優勝したブラックマヨネーズはショーグン的存在。その時点では同階級において誰もが認めるトップであり、もしかすると芸歴20年のヘビー級とぶつかっても勝てるのでは? という幻想を抱かせてくれた。
それに対してR-1はどう見てもプロレス。別に勝ち負けが決まっているというわけではなく、「誰でも参加OK」「ノールール」など、一見バーリ・トゥードを標榜してるわりに、随所に現れる綻び(第1回の審査員に森末慎二・2004年に開催された2003年大会・関東の放送時間が日曜夕方、他2000項目)、そのへっぽこ感がプロレスに近い。異端ピン芸人よりも人気コンビの片割れ芸人が、”力”より”格”優先で上位進出しやすい構造もまさに。だから私にはR-1優勝が「最強」の称号ではなく、力皇の巻くGHCヘビー級ベルトにしか見えないのだ。
もちろんプロレスにはプロレスの良さがある。ほっしゃん。の流した涙は小橋健太のチョップのようなもので、アングルがはびこる世界に光る真実の瞬間だったからより感動的だった。でもR-1には鳥肌実も吹越満も、ついでに名前が似た勢いで殿方充も鈴木みのるもいない。柔術も修斗もコマンドサンボも排除したリングであることを認識しないまま、プロレスを語ってどうするのか。誰が優勝しようが胡乱な審査だろうがPTAの横槍で「みんな優勝」の結果に落ち着こうが「これはこういうもの」というプロレスの視座で、清濁合わせて飲み込んで見守るのがR-1に対する正しい対峙の仕方である。
それはさておきノーナ・リーブスの西寺郷太がHPの日記で「ブラック・マヨネーズ」と表記していた。「・」ひとつあるかないかでこの違和感。ファンクバンドと間違えている可能性は高い。ノーナリー・ブスだっけ?