ももえ渦(しもきた空間リバティ)

10年前サラリーマンとして働き、お笑い情報に枯渇していた頃、関西で発行されていた笑芸ミニコミ誌『AHAHA』ばかり読んでいた時期がある。そのレポートを貪り読んでは「ドレス(フットボールアワー・岩尾の前コンビ)の”労働の王様”ってどんなネタなのかな?」「福岡吉本亀屋大吉が海外で武者修行って何すんの?」と、見たことない芸人に対して勝手に想像を逞しくしていた。会社でアフター5のことばかり考えているOLを私は心底バカにしていたが、彼女たちより私は仕事ができなかった。
さてその中で幻想が膨らんだ芸人がダックスープである。大阪には大滝エージェンシーという小さな事務所があって、そこに所属するダックスープのボケ・木藤は「爆笑問題・太田に匹敵するセンス」といった文章を何度か目にしたのだ。しかし『オールザッツ漫才』の映像を入手することさえ難しかった当時、大滝エージェンシーの芸人を目撃できるチャンスがあるはずもない。その後ダックスープは松竹に移籍し、2002年ごろ大阪の浪花座で見かけた時は、客席の老人相手に枯れた漫才でその場をやり過ごしていた。昼の劇場ではコンビ時代の安田大サーカス・団長が客席にサッカーボールを転がす漫才を披露して、自転車で挑む坂道以上の急傾斜でスベっていた。私はダックスープの旬を見逃したことを噛み締めた。
さらに月日が流れ、ダックスープのボケ・木藤はナオユキという名前のピン芸人になって現れる。しかもマイク一本を前にボソボソ語る、スタンダップコミックの王道スタイルで。最近の芸人はロジックとトーンがみんな同じで個性をキャラクターで調整するのが主流なのに、ナオユキは笑いのロジックとトーンがまるっきり違った。ひな壇芸人が「おどり炊き」とか「蒸気レス」のありがた感だけ漂う機能を搭載したジャーとするなら、ナオユキは飯盒でご飯を炊いている。どっちが旨いのかといえば最新型のジャーかもしれないけど、私は焦げた飯を選ぶ。だって幻想があるから。
この日、春風亭百栄独演会のゲストで登場したナオユキは20分ほどのスタンダップコミックかまして、最後、客席を爆笑させて引き上げる様が猛烈にカッコよかった。すっかり気分がよくなって、私の記憶も「煙草の煙が立ち込めるシカゴのコメディ・シアターで伝説のコメディアンを見たぜ」と都合よく捏造される。
帰って久しぶりに『AHAHA』を本棚から取り出して広げてみた。96年発行の号で「動きがきれいで飛びはねても言葉が乱れない」「先輩のアンジャッシュを抜くかも」と新人・マンブルゴッチが評価されている。13年が流れ、その時の片割れが今ゆってぃ。びっくりするほど幻想が広がらない。