大谷インタビューVol.1 VS村西とおる(阿佐ヶ谷ロフトA)

komecheese2010-03-15

ダイノジ・大谷と村西とおる監督という二大キチ○ガイが共演すると聞きつけて迷わず会場へ。会場の入り口で村西監督提供のほしのあき抱き枕と監督プロデュースのブラックコンドームを渡された瞬間、ライブの成功を確信する。
二人が舞台に現れると、監督は進行役の大谷とほとんど目を合わせず、会場の隅上に目を走らせながら「私はウラの取れた話しかいたしませんので」と語りだし、その著名人の流転話、性談義はどれもスジが通った内容で、特に圧巻だったのが自らの人生の浮沈話。「こんなどん底の男でも生きているのだと思って、みなさんも生きてください」のメッセージに集まったボンクラたちはうっかり感動までしてしまい、会場で先行発売された『村西とおるの閻魔帳』(コスモの本)の物販に列を作るのだった。当然私も買った。
それにしてもこの『閻魔帳』である。項目をさっと眺めると「伝説の裏側ーー山口百恵伝説」「陣内と紀香の離婚の「真相」」「ジャニーズ帝国物語」「吉永小百合さまの処女を奪った男」などなど、一部ブログで読んだ記憶はあっても、改めて書籍で通読すると「これが出版されるってウソでしょ?」と掌の表と裏から汗がにじみ出てくる裁判必至の怪作揃い。しかしこれがただのゴシップかといえばそんな軽いものではなく、村西監督の人生と正義感に即して書かれているから一文一文がずっしりと重いのである。人の営みをすくいとるものが文学とするなら、これは文学に他ならない。芸能人のよもやま話をエンターテイメントに昇華させた浅草キッド『お笑い男の星座』の下流に博多大吉『年齢学序説』があるなら、この本は上流で轟々と水を湧出している巨大な水源であり、『閻魔帳』の名の通り扱われた芸能人にとっては芸能寿命は縮むデスノートかもしれないが、一般人は読んでいると不思議と勇気が湧いてくるライフノートであり、とにもかくにも私の心の発売3日で100万部突破作品。発禁処分になる前に手に入れた方がいい。
「この文章はそうした「つらい人生」を生きている人たちに読んでいただければ、と書かせていただいております。私自身がただ今も崖ぷちの人生を生きているからでございます。成功したり、いい思いをしている人間の話に興味などないのであります。もう駄目だ、という状況を生きているから共感し合えるのでございます」(本文168Pより)
ところでライブ中、村西監督は「人間、死への恐怖を忘れるため性の快楽に走るのでございます」と非常に腑に落ちる話をしていて、それを聞いてダイノジ・大谷が半年に1回はブログで書く「初期のスピッツは性と死を感じさせるから好きだ」の文章を思い出した(最近だと「原監督=大喜利王説について語りたいねえ」が1週間に1回、「これって映画『レスラー』じゃないか」の文言が1日2回出てくる)。もしかすると村西監督はダークサイド・草野マサムネなのかもしれない。「ラズベリー」の歌詞に出てくる「5円玉の向こう」の「5円玉」とは「アヌス」に他ならないのでございます。