アーウィン・ショーを和訳すると哀川翔

あれは東京の街が銀世界に包まれる前夜の話。僕は目の前で揺れるキャンドルを眺めながら、ドラフトビールの泡で唇を湿らせていた。
ある雑誌の忘年会に参加するまま2次会へと流れ、今は薄暗い地下の酒場で関係者と卓を囲んでいる。僕の横に座ったアダルト記事専門というライターの女の子に話しかけると、なぜだかお笑いの話題になった。
「わたし、そんなにお笑いとか詳しいわけじゃないんですけど、好きなんです、なんだっけ……『松ごっつ』だったかな」
「ああ、松本人志が一人でやってるやつ」
「うん、昔カレシにふられてすごい落ち込んでいた時期があって。あーもう何してもつまんないなーってちょっと鬱入った時、友達がDVDをくれたんですよ。それ見て笑ってたら、気分が明るくなって、うん、やっぱり人生頑張ろうと思えるようになったんですよね」
その言葉を聞いて僕は−−ここで告白するのはちょっとした勇気が必要なのだけれど−−目頭が熱くなるのを抑えられなかった。
「そうそう、笑いって人を救ってくれるもんだと思うんですよ。笑ってる時って一瞬だけかもしれないけど、不幸や悲しいこと忘れられるでしょ。そういう幸福な思考停止ができる瞬間って他にないじゃないですか。僕自身も塞いだ時、くだらないお笑いのビデオ見て励まされたことって何遍もありますもん」
そう力説しながら僕の頭の中は空っぽだった。なぜかというと、どさくさに紛れてその子のおっぱいをずっと触っていたからだ。
(『ニューヨーク・ニューヨーカー傑作選』より、アーウィン・ショー『夏服と赤福を着た女たち』)
一人称を”僕”にしたら叙情的な思い出になるかと思ったら、どうにもなりませんでした。午前3時に店を出るとタクシーを拾う金もないので、渋谷から1時間歩いて帰る。そこにはセンチメンタルどころかセンチもメートルもなく、ただただキロメートルという距離が横たわるのみ。