おでん鍋から現れて「あなたが落としたのは巾着? 銀杏?」と訊ねる妖精

取材で大阪へ。夫婦経営のさびれたおでん屋でちびちび飲んでいると、カウンター内の電話が鳴った。しばらくして険しい顔で受話器を置いた女将は「静香ちゃん、やっぱりあの店におるみたいや」と旦那に向かって眉をひそめた。
二人の会話に耳を傾けるに、店の従業員である女の子が他店に引き抜かれて、夫婦に無断で働いているらしい。それもこの店のシフトを無断で欠勤してる模様だ。血相を変えた女将は「その店に行って抗議してくる」とガラス戸を引いた。なぜか入店したばかりでビールも頼んでいない常連客が、その話を聞いて「よっしゃ俺も行くで」と店を後にする。カウンター内に取り残されたのは人の良さそうな店の主人だけだ。
30分経つ。女将は帰って来ない。
1時間経つ。事の顛末が気になって私は焼酎のお湯割りで粘る。
1時間半経つ。さすがに親父の顔は不安一色に染まっている。連絡もない。
2時間経つ。勢いよく店の扉が開いた。帰ってきたかと親父は顔を上げると、そこに立っていたのは白スーツのホスト風男。小脇になにやら白ワインを抱えていた。
「お父さんすまんねえ。これが開かへんのや。ちょっと頼んでもええかな? なんせ今日、店に山本さんおらんから」
「そうか山本さんおらんのか……。そりゃ難儀や。ちょっと待ってな」
何だこの突然の乱入者は。事情は分からないが近所の同業者で、わざわざ余所まで持ってきたということは相当に特殊な瓶なのだろう。白スーツは出入り口でしきりに「山本さんおらんからなあ。ウチらじゃ手におえへん」と呟いている。すると親父はごく普通としか言いようがない螺旋の栓抜きを持ち出し、ポンッとコルクを抜いた。瓶の先からゴボゴボと白い泡が流れる。
「おおきに! 助かるわー」
「まあしゃあないがな。山本さんおらん時は、また来ればよろし」
私はお会計と告げて席を立った。というのも”この街には山本さんがいないとワインを開けられないホストクラブが存在する”ことを知ってお腹いっぱいになったから。店を去る時、背中ごしに「いかに山本さんはデキる男か」を讃える二人の会話が聞こえた。いいのかシャンパンを頼んだ客は。それより女将は。