本間しげるライブ at ROCK STUDIO 2008(ROCK STUDIO)

現在、パルコファクトリーで「ナンシー関 大ハンコ展」が開催されている。ジャイアント馬場、赤坂尊子、田中邦衛など、ナンシー関が畏敬の念と愛をもって語った対象はそれほど多くない。そして芸人に対するハードルはとりわけ高かった。あからさまに「面白い」と認めていたのなんて、ビートたけし、ダウンタウン、それと『お笑いウルトラクイズ』におけるダチョウ倶楽部ぐらいだったのではないだろうか。
そんな”ナンシーがハンコを押した”数少ない芸人の一人が、本間しげるである。単独ライブのチラシにコメントを寄せ、ライブ映像にはカメオ出演までしていた。鋭すぎる観察眼から生まれる批評性、芸で幾層にもくるんだ悪意、そして突き抜けた表現力。1962年に青森と新潟の雪国で生まれたナンシーと本間はよく似ていた。しかし同時に二人の芸を堪能できた幸福な時代は90年代の中盤までのこと。今、ナンシー関は現世から、本間しげるは一線から姿を消している。
その本間しげるの2年ぶりの単独ライブへ向かった。この10年、本間のライブには落胆させられることが多くて、「ひとり芝居の世界でイッセー尾形がいわゆる名人の存在であるならば、本間は最強の真剣師」論を唱える私からすると、「駒の並べ方も忘れたんじゃないの?」と嘆息することもしばしばだった。しかし今回は違った。腹話術人形、おばさんの結婚式のスピーチ、阿久悠記念館の開館を祝う政治家、マルチ商法を説明するコンパニオン、婚期を逃したOLに祟るおじさんの霊、追い詰められたマルチ会社の社長、そして幕間映像。全部が精密で、鋭くて、何より面白かった。舞台にいたのは、あの頃驚嘆した”強い”本間しげるだった。それが嬉しくて、私は最後の社長の重厚な芝居を見ながら思わず涙ぐんでしまった。
ライブが昼の3時に終わったので、私は同行していた旧友二人と有楽町へのガード下へ。今日ぐらいはこの感慨を熱く語りたいなと思っていると、知人のMは「いやー昨日つぶ貝にあたって体調悪くてさ、最後のネタ、ほとんど眠ってたんだよね!」と衝撃の告白。それでも本間とナンシーの素晴らしさについて讃えようとしたが、それ以上の勢いで落合信彦(通称:ノビー)のことを延々と激賞されて、私はあえなく撃沈した。生きていればこんな長い夜もある。たぶん幸福な時間だったんだろう。