芸人のネタに点数をつけるブログそのものに点数をつけるお笑い評論家

お世話になってるダイノジの大谷さんが「不良芸人日記」で私の名前を出している。言及してもらってしこたまありがたいことだ。
しかし。しかしそこで挙げている私の職業が! 原文をそのまま引用すると「お笑いライター(なんか間抜けな職業名だなぁ、つうか合ってんのか?)鈴木工」。つうか合ってない。自分で「お笑いライター」を名乗ったことないし、演芸関係の原稿収入は全体の3割程度だし。
なぜか大谷さんは最初私のことを「お笑い作家」と呼び、次第に私が何の作品を残していないことに気づくと呼称は「お笑いライター」へ。先日、人気若手芸人のトークショーの楽屋へ挨拶に向かって、あのN(ノース)野君に「彼、お笑い評論家だから」と紹介された時は、小林信彦のフリして乗り切るか、気まずさの勢いにまかせて割腹するか迷ったほどだ。
別に私は自分の書いた文章が、関係者に読まれてどう解釈されようが構わないと思っている。それは物書きの端くれとして自己責任に基づいて発言してるからだ。という自負はこれっぽちもなく、文章の中に予防線をたくさん張りつつ、万が一本人にどつかれた時も「ちょっと待ってくださいよ〜。所詮私なんて実生活で人を笑わした経験もないのにお笑いを語る汚濁野郎でゲスよ〜。そんな面と向かって言えない妄執を真に受けるなんて器量が狭いじゃないでゲスかイッヒッヒッヒ」と三白眼で土下座することをちっとも厭わないからである。
それだけの武士(もののふ)ならではの覚悟はしていても、「お笑い評論家」「お笑いライター」と呼ばれるのはどうにもいけない。ましてや私は「おわライター」でもないし、「楽しまナイト」でも「怪傑えみちゃんねる」でも「今夜はおしゃれしま専科」でもない。シーラ・E風の「オワラ・E」は悪い気はしないけど、それはどう考えても職業ではない。
半可通で「評論家」を名乗る人間は品性が極北にあるし、芸人以外で「お笑い」のついた職業を自称する奴は感性が極北よりも北にある。結局、私はただのライターでしかないのである。そういえば最近、知り合いの編集者から「お笑いロリータ」と呼ばれた。その心は「芸人がビッグになると興味をなくすから」らしい。お笑いロリータ。やはりどう考えても職業ではない。