世界の中心で、声に出して読みたい日本語

年下の知人を飲みに誘ったところ、
「お金ないんで、今日は家で豆腐食べます!」
とひどく爽やかに断られた。
お金がないから家で豆腐を食べる。なかなか味わい深い言い訳ではある。斉藤孝先生だったら「この言い訳、腹から声を出して言ってみましょう!」と何も知らない小学生に刷り込む光景が想像に難くないほど、奥行きのある響きだ。その前に斉藤孝は自分の悪声を何とかしてほしい。
しかし知人は大きな誤りを犯していることに気づいていない。
というのも最近仕事がなくて実入りが少ない私は、声をかける前の4日間、家で豆腐を食べていたのである。
困窮の結果として豆腐に手を出した彼と、豆腐で日々を凌ぎ、そこから生まれた余剰で飲みに繰り出す私。どりらがアリでどちらがキリギリスかは説明するまでもないだろう。二人ともフンコロガシである。年上という分、私の転がしている雲固の方が重い。
なおまだほのかに小粋感が漂っている「豆腐」という単語を「白菜」「ガリ」「氷」に変えると、プロレタリア文学の域に達するから不思議。左様です私が今噛んでるのはキシトールガムではありません湯豆腐でダシをとった昆布でございます。