青年14歳から15の夜を経て原田16才に昇格

現在、下北沢ではもっともチケット困難が入手と言われる芸人が公演を開催している。お笑いとアートの融合に成功したことで名高い……そう、原田16才だ。
本多劇場でRA★MENSが何してるなんて知らんがな! リンクで飛んでこられるのが嫌だからG★MENSみたいに表記してやったぞ美大臭が! お笑い好きが刮目すべきなのは、OFF OFFシアターで1日だけひっそりと行われている原田16才の単独であろう。
とはいえライブは当日券も出ない模様なので、あきらめて家で本当の16才が戯れるビデオを見ることにする。残念きわまりない。というのも私は彼と浅瀬な因縁があるのだった。(以下は昔、某雑誌「D」のメルマガ、今は私にちっとも仕事をくれない「D」、2年間も無償でメルマガ原稿を書いたのに今はちっとも仕事をくれない「D」のメルマガに書いた長文)
先日、TBS『爆笑問題バク天』“テレビに出しちゃいけない変テコ芸人SP”を観賞していると、平成元年生まれを名乗る芸人“原田16才”が現れた。
シブがき隊の「NAI−NAI−16」にのせて登場するや、いきなりカメラの前で「16歳!」と見栄を切る。詰襟姿にかかわらず、毛髪密度の頼りなさ、苦労がにじみでた肌のハリ、何よりもその選曲。彼が三十路を超えていることは疑いようがない。
それでも16歳を強調する原田は、アンテナの受信皿を利用して産湯に浸かったとしか思えない電波受信ぶりで、「原田16才、高1です! ヤング、ソーヤング!」など、数々のわがままなギャグを披露。録画VTRにかかわらず、そのえぐさからスタジオの女性アイドルから「きゃ〜」と、足裏マッサージを強要されたような悲鳴が上がる。
その光景を見ながら、私は一人の男の姿を思い浮かべていた。

あれは90年代前半。池袋に「ACT―SEIGEIシアター」という自宅用核シェルターと張り合うほどに小さな映画館があって、月に一度、レイトショー前に『馬鹿バトルCLUB』なるお笑いのライブが催されていた。
まだテレビ露出前夜だったデビュー当時のキャイ〜ンオアシズ海砂利水魚など、粒が揃った芸人に順位をつける構成で、審査員もみうらじゅん、杉作J太郎、リリー・フランキーブッチャーブラザーズのブッチャーさんと、今考えるとひたちなか界隈でロックフェスのひとつでも立ち上げられそうな豪華な布陣だった。
お笑い好きの学生だった私が、このライブに足繁く通っていたのは理由がある。それは冠についた『馬鹿』が一つの方向性を示すように、およそテレビに出れないカルト芸人を許容する数少ない舞台だったからだ。
出演していたのは、読者も当然御存知かと思うが、ペットボトルに放尿した液体を客席にぶちまける半裸男・汗かきジジイ。ブリーフの先端に巻きグソのオブジェを施し、オペラを熱唱する、国民的スターのうんこマン。日の丸Tシャツに金髪カツラの装いで舞台に現れると、気がふれた一発芸の間に芸人仲間の悪口を絶叫して帰って行く、郷ひろみ。当たり前ながら、服の裾を翻すジャッケトプレーの名手・郷ひろみ本人とは何ら関係ない。それどころか、郷ひろみのマネをしないのに芸名が郷ひろみなのである(この名前ではテレビに出れないことに気がついたのか、後にGO!ヒロミ44’に改名)。今冷静に書いていると、一体何が面白かったのだろうか? それ以前に彼らが本当の芸人だったかすらも怪しい。
その原始スープに劣らない濃い面々の中に、よれた白Tシャツに褪せたジーンズで一人芝居を演じる青年がいた。他のカルト芸人に比べると強いインパクトはないが、自家中毒気味のギャグ&客を置いてきぼりにするストーリーテーリングが、芸人にしては妙に暗い表情と重なって興味を覚えた。
ある日、そのライブに地元の友人を連れて行くと、濃いスネ毛に花を活けるうんこマンの“フラワーショー”に涙を流して大爆笑。続いて登場したのは、よれたTシャツの青年だった。自転車のサドルが熱い鉄板という必然性も何もない設定でコントを始めた彼は、尻を押さえるギャグをしつこくしつこく連発。そのくどさに客席は湧いているのだが、先ほどまで出生直後の嬰児級の呼吸困難に陥っていた友人は、ひどく冷めた顔で舞台を凝視している。
ネタが終了すると、私は暗転した空間で耳打ちした。
「面白くなかった?」
「なんていうか、素直に笑えなくてさ」
「あんなにうんこマンで笑っていたくせに? そんなに毒も強くないと思うんだけど」
「いや。違うんだよな。そういう問題じゃなくて」
「どういう問題なんだよ。おいおい教えてくれよ、何がどう違うかを!」
私が激昂して友人の胸倉を鎖骨ごとつかむと、友人は視線を落として呟いた。
「…………あの人、俺のバイト先の先輩なんだよ」
10年後、私は『バク天』の放送を通して、その青年・原田尚紀と再会することになる。

番組のゲストとして招かれたネプチューン・名倉は、原田の芸に困惑した表情を浮かべている。10年前、まだジュンカッツというコンビだった名倉は『馬鹿バトルCLUB』の常連だった。また番組レギュラーの長井秀和も今みたいな毒舌漫談ではなく、パントマイム芸で同舞台に何度か上がっていたはずだ。10年の歳月は芸人の技術もポジションも全てを変えてしまう。
しかしディスプレイに映る原田はハイテンションで「母さんから電話だ! もしもし、今ジャスコ? 俺、ムスコ!」と叫んでいる。この勢いで全てを乗り切ろうという芸風、何も変わっていない。10年経っても上積みも劣化もないミラクル。原田はいつまでも16歳のままだ。というか当時より年齢が下がってるような気がする。
そして今、私はあの頃を回顧して思うのだ。
うんこマンという芸名は無茶すぎる、と。