リリーくんのトレーナー胸部プリントをよく見たら、Lの字ではなくてノギス

これは”中川雅也”の作品だと思った。リリー・フランキー『東京タワー』を読んでの感想。
この長編の雛形的作品がエッセイ集『美女と野球』収録の「オカンがガンになった1・2」(97・98年)である。ここで語られるのは、2年前、突然東京にやって来たリリー・ママンキーがそのままずっと住みついてしまい、何度もクール宅急便で送り返そうとしたが失敗に終わって只今同居中という物語。声帯部分をガンで患うママンキーはどこ吹く風と花札に熱中し、追って上京してきたパパンキーは煙草ばかり吸っていて、ヤクザな生活を送り、シャネルのジャンパーを羽織っている。全てはいつもながらのリリーさん的極彩色の世界で、当然、挿絵に現れるパパンキー&ママンキーも東京タワーも、ほんのりと肩の力が抜けた例のイラスト。当時、リリーさんの正体さえ掴めていなかった僕は、「こんな浮世離れしてる人が母親と住んでるワケないじゃん! これ全部ツクリだ」と笑いながら何度も読んだ。
しかしその話は絵空事でなかったことが『東京タワー』では明らかになる。ママンキーが上京したのは、母を気遣ったフランキーが呼び寄せたからだし、『美女と野球』の作者プロフィールでは著者近影はおろか、誕生年まで不詳だったリリーさんが、この本では「中川雅也」の本名を隠していない。何より母親の呼称は「ママンキー」ではなく、「オカン」「栄子」だ。終盤部に1ページだけ挿入される病室のイラストも、独特なアッパーな線が抑えられたひどく静謐なデッサン。「リリー・フランキー」というなめたペンネームに象徴されるような、華やかで鋭利にくだらない世界はそこにはない。それは真面目にふざけていたリリーさんが、『東京タワー』ではそのエネルギーを死と対峙することに費やして”中川雅也”に戻っているからだろう。リリー・フランキーと中川雅也、どちらもカッコよいけれど、僕はリリーさんの方が好きである。生活の苦渋やドタバタを全て受け入れながら、それでも母親をママンキーと呼んで笑いを作ろうとする、虚構に満ちた筆力に憧れて僕はライターになったのだから。
さて『東京タワー』の終盤、リリーさんは母親に「死んだら開けろ」と指示された箱に手を伸ばす。古いお札、名前の由来が記されたレポート用紙……そして最後に現れたのは、息子にあてたメモ帳の遺書。そこに記されたタイトルを読んで僕は目を瞠った。
「ママンキーのひとりごと」
そう書かれていたのは、実生活で周囲からママンキーと呼ばれていたことがあるからに違いなかった。オカンでも栄子でもなく、本当にママンキーも存在したんだ……。リリーさんは読者を笑わせようとサービスでママンキー、真摯な中川雅也の視線に戻ってオカンと呼ぶようなつつましい切り替えなど使っていなかった。筆を握るのは、リリー・フランキーだけ。そして彼に看取られるのは、リリー・ママンキーなのだ。
本を閉じると、僕は作品にたびたび登場する幡ヶ谷の遊歩道まで自転車を走らせた。この季節、開花して道に門を作る桜は咲いておらず、繁る青葉が熱で揺れる空を隠していた。その先にある空を見上げながら、僕は思う。『美女と野球』に出てくるリリー・フランキーのバッタもの、リリー・マタンキーは今頃どうしているのだろうなと。