松田聖子によるご当地ソング「ナニワのモーツァルト」

やりすぎコージー』を見ていて、何気なく今田耕司が漏らした一言に目からウロコやら鰭が落ちる。その台詞とは「だんだんスタジオの空気がナニワになってきましたねえ」だった。
ちょっと面白い企画があるとすぐ追随ネタに走る・その企画も「寝技王決定戦」「寺門ジモンフィーチャー」など他番組から多大なインスパイアを受けた怪しさに満ちている、こういった姿勢から『やりすぎコージー』の本質を”自由”と考えていたのだが、今田の一言で核に存在するのは”ナニワ”であることに気づいた。大橋未歩アナさえいなくなれば、関西制作と言い切ったところで誰も疑うまい。そしてそのイメージにもっとも近い単語は、”関西””大阪”という言葉では補えない全ての泥臭さを包容した”ナニワ”だ。
深夜帯の放送や、低予算感が漂う空気……さまざまな要素がナニワ感を高める中で、もっともナニワ臭強化に貢献しているのは「思い切りがよすぎるマイナー芸人の起用」だろう。別に関西芸人が多ければいいというわけではなく、少し前ならほっしゃん。、今でいうならくまだまさしガリットチュウをフィーチャーし、彼らが「あたかもそこにいるのが当然」という顔つきをしてスタジオで仕事することが、この番組によそにはない独自の色彩を与えている。誰だよくまだまさしって。見たことも聞いたこともねえよ。フ〜。
というのもこの状況を見て抱く印象は関東人が関西制作の番組を覗いた時、湧いてくる感情に限りなく近い。上沼恵美子やしきたかじんでも十分新鮮なのに、メッセンジャー・あいはらが流暢にコメントし、アジアンがレポートしている衝撃や違和感といったら。無名芸人が格を無視した適切な居場所を与えられ、活き活きと役割を果たす映像を全国放送で見る機会は乏しいが、『やりすぎ』にはそれがあるのだった。
つまり本当のナニワは『なるトモ』の中にあるが、『やりすぎコージー』の中では東京で生まれた擬似ナニワが存在している。それも番組コンセプトというより、無意識に誕生したシロモノなのだろう。いつの間にか本家以上にリアルになっていた東京ディズニーランドのような。この仮想空間におけるミッキーマウスは杉作J太郎だ。
ところで次回予告では、早速「芸人バイト王」大会で注目を浴びたナメリカ・安住の姿を見つけた。またえらいところにスポットを当てたな。