週刊・張本勲(第5回)

28話 「1967年から私はプロ野球でそれまで誰も成し得なかった四年連続首位打者になった」で始まり、打撃理論を公開。前回少しふれたスランプ期の話はどこへ?
29話 首位打者のライバルである近鉄のジャック・ブルームを赤坂のステーキ屋に誘い、セーフティーバントのコツを聞き出す。それを実践したハリーは「慌てる内野陣や投手を笑って見ながら「楽勝セーフ」と一塁へ走ったものです」
30話 1970年。最後の試合で4安打を打てばプロ野球最高打率記録に。3安打を打って、最後の打席へ。
31話 阪急・山田からセーフティーバンドを成功させて、見事、新記録を樹立する。しかしシリーズ中、マスコミから「セーフティーバントは卑怯」と批判されて、「じゃあ堂々と打ってやる」と応じたことを告白し、「(あのままバントをしていれば)4割の夢がかなっていたかもしれないのに」とまさかの妄想大爆発。
32話 話はさかのぼって1966年、東映がブラジルに1ヶ月の長期遠征へ。日系人の壮絶な人生を知り、「この人のたちのことを考えれば、おまえはこれまで、どれだけの苦労をしてきたというのか」とハリー猛省。「小さな数字にこだわってこせこせすることはない」と決意を心に刻む。まさかその4年後、最終打席でバントするとは……。
33話 後輩の大杉勝男を可愛がり、熱血指導する。そして1970年、ノムさん本塁打王を競っていた大杉はハリーの元を尋ね、「眠れないんです」と相談。一緒に午前4時まで素振りした。
そして翌日。阪急戦でホームランをぶちこんだ大杉は、本塁打王を確実にして、号泣しながらベースを一周。さらに打点王も獲得する。
そこにカットインするハリーの回想。
「打率は`339で2位。三冠王を阻んだのは私の最高打率`383だったのです」
ごめんなさい。私、ハリーのことが一瞬嫌いになりかけました!