マックスコーヒーをこぼして霞ヶ浦に赤潮が発生

ついにある筋から「なまり亭磯山さやかの回のビデオを入手する。京都弁を抑えぎみにSプレイ全開の杉本彩に対して、磯山さやかが茨城弁を大放出するコントラストは、まさに花と蛇。LOVEなんてプリントされたシャツ着やがって。俺がおまえにLOVE、いやこの際イバラブだ! と明日にでも一世を風靡しそうなギャグを考えながら、ビデオを立て続けに5回見る。
テンションが上がりきった私は、このままテレビの前に座っていていいのか? と自問自答を開始して、気が着くとつくばエクスプレスに乗って茨城に向かっていた。終着駅に降り立つと、そこはできたての駅ビルと青い空しかない土地。強い風が吹き抜けるが、茨城弁はどこにもそよいでいなかった。
しかし冷静に考えればそれはすぐ分かったこと。サラリーマン時代、私はつくばに担当店を抱えていて2年も通ったのだから。茨城弁に出会いたいならこんな歴史の浅い街ではなくて少なくとも水戸方面へ。磯山さやかのせいで我を失ってしまった。
それにしても足繁く通ったというのに、店が入っていた大型百貨店と宿泊していたホテルの場所しか覚えていないのである。20代前半だったにかかわらず、どうして店とホテルだけを往復して、どこへも遊びに行かなかったのだろうか……。
その時、記憶の扉がいきなり開いた。当時ストレスの塊だった私は仕事が終わるとすぐホテルに直行。そのまま24時間見放題だったAVチャンネルを膝を抱えながら虚ろな目で睨んでいたのだ。それもチェックイン間際まで。そんな最低な日々に耐えられなくなって、私は会社を辞めた。
しかしなぜ今つくばにいるのかといえば、それは”テレビの前で飽和状態に達して始めて重い腰を上げる”習性が何ひとつ変わってないため。いつ私は街角でダメージヘアだった頃の自分とすれ違うのだろう。また「なまり亭」が見たくなって、私は駅の上りのホームへと踵を返した。