「ビキビキビッキーズ!」のポーズとカルト宗教団体の祈祷が偶然一致

ビッキーズが解散した。2003年のbaseよしもとオフィシャルブック『B面03』(ぴあ発行)を紐解くと、こんな発言が載っている。
須知「周りの芸人がメディアの仕事増えていくのに、僕らには何もなかったもんな。だから月に1度の『ガブンチョWAR』だけは1位取っとかなアカンって意地になって」
木部「あん時は、さすがに『ここだけは譲られへんな』ってお互い口にしたよな。おかげで合計8回1位取って」
下記URLの「ガブンチョヒストリー」をクリックすれば、その歴史を確認することができる。大阪吉本の若手育成組織・ガブンチョメンバーの誕生から卒業するまでの14ヶ月間、特に2000年に入ってからビッキーズはこんなに強かったのだ。
http://www.geocities.jp/joyfulclubgroup/
ネタがランキングされて鎬を削るこのライブ。フットボールアワー、チュートリアル、ブラックマヨネーズ、キングコング、ロザンよりもほとんどの回で上位だった事実はビッキーズに矜持を与えながら、後年は大きな心の重石になったと想像してしまう。
後にM-1を制覇するコンビが、お笑い能書き垂れまでもひれ伏す漫才にたどり着いたのはガブンチョメンバー卒業後のこと。フットボールアワーは漫才の中にコントの一本道を走らせ、ブラックマヨネーズは神経質を先鋭化し、チュートリアルは妄想の液体をぶちまけた。みんな変わった。ビッキーズも変わった。須知は頭だけ残してカバンの中に体を収納したし、木部は嫁の話で炎のごとくスベった。今はただ、ガブンチョのようなすさまじい生存競争を勝ち抜いた芸人でさえ、”大変換”を果たさなければ生き残れない大阪の層の厚さを恐ろしく感じるのだ。さよならビッキーズ。須知はあの管楽器のようによく通る声を、またどこかの劇場で聞かせておくれ。
ちなみに上記サイトでは、ガブンチョが発足した暫定メンバーの中にレイザーラモンとG★MEN`Sの姿も確認できる。「紛れ込む」という言葉以外思いつきません。